アート運動としてのリボット・クエスト。
リボット・クエストにおいて、素材として使用するものは、ジャンク家電製品、アッセンブリ、パーツやなど、リサイクルされたものや、どこかでたまたま見つけてきたような大量生産品の一片ばかり。それを自由な発想で組み立てていく。いわゆる「 アッサンブラージュ」と呼ばれる組み立てアートの手法である。
1910年代に勃発したダダイズムの芸術運動から生まれた「ファウンド・オブジェクト(見いだした物体)」を用いて作品を制作するという表現方法を指す「レディ・メイド」という言葉があるが、リボット・クエストのアーツアンドクラフツはレディ・メイドやダダイズムなどのアート運動の影響を受けながら、ナンセンスが概念とされるジャンク・アート(廃物芸術)が持つ反芸術性、つまり無意味とは対極にあり、コモディティー、つまり「日用品」としての機能を果たすことである。その主役は無名のクラフトマンであり、その表現においても、ギャラリーやミュージアム、野外アートなどではなく、その場は「イエ」や「ミセ」であり、都市空間の市場の中で展開される。
「 アッサンブラージュ」は現代の大量生産/大量消費のシステムを批判的にとらえた表現だ。日常の私たちを取り巻くのは記号化された大量生産品である。「 アッサンブラージュ」は、アートにふれて感動したいという観客の常識的な期待を見事に裏切り、面食らう私たちを<アートの表現とはいったい何だったのか>という根源的なの問いにさりげなく引き戻してしまう。アートに取って代わって日常のクラフツがアートの位置に置かれる。そこで惹き起こる意味の混乱。何でこれがアートなの?と観客の中のアートの概念が浮き上がる。こうし考えをめぐらせた末、今までのアートの概念が無効になってしまうこと。そこが「 アッサンブラージュ」のねらいだ。
50年代に登場する「ネオ・ダダ」、60年代のポップ・アート、70年代のコンセプチュアル・アート、インスタレーション、パフォーマンス.....。これら都市の事物や記号を選び取り芸術に転用する表現の元をたどるとデュシャンのレディ・メイドにいきつく。
ネオ・ダダのラウシェンバーグは都市で打ち捨てられた事物、古タイヤや看板の木切れなどをそのまま表現に登用する。
レディ・メイドは時代の記号化の核心を突く批判性をそなえていた。問題になるのは、何をどう選ぶかだ。「選ぶ」があらたな創造行為となったのは、背後の思想、それに基づく概念操作によって従来のアートの美に対する批判を含むこと、既成のプロポーションによる美を破綻に導く仕掛けとなっているからだ。そこには現代の文明を批判する思想が息づいている。
「 アッサンブラージュ」においては、すべての人間がアーチストだ。アートとコモディティは決して対立する概念ではない。「でもアートってむつかしいんだろう?」「いやそんなことないさ」「なんだ簡単じゃないか!」というわけだ。なにしろ手法自体は、だれもが日常的に行っている「選ぶ」行為をそのまま先鋭化すればいいだけなのだから。